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21.2 光源氏の食卓
『源氏物語』中に食事の記述が少ない事は有名であり、物語の記述から、具体的に食卓を描く事は至難の業となる。こうした記述の少なさから、この時代の貴族は食べる事に恥じらいがあったという説まで生まれているが、人間性を理解しない珍説ではないか。さて、前節の卑弥呼の食卓は栄養的にもなかなかの優れ物と思われる。肉を食べていた事が食卓を豊富にさせているが、おそらく仏教の伝来とともに、肉食の習慣が減ったようだ。地方からの租税の形で都に送られる食料が増えており、それらは山海の珍味を含むが、そればかりでは栄養的に不足となる。平安の記録には、現在の脚気の症状がしばしば記録されており、それらは、偏った食事の結果といえよう。平安京では、既に日本全国の特産品が市で売られていた(信濃・梨、丹波・栗、尾張・米、近江・鮒、越後・鮭、山城・茄子、大和・瓜、丹後・和布、鎮西・米、河内・鍋又のみそ等)[3]。こうした名物が生まれる所には、それを嗜好する心がある。奈良時代の資料によれば、貴族の使用する食器は、土器と木器を合わせて基本的に6〜7種類が1セットである[17]。従って、その位の品数が食膳に並んだのであろう。地方から貴族あてに送られて来る食材(税)の一例をあげる。
米(ウルチ米、もち米、白米、玄米)、小麦、粟、白大豆、カブ、チシャ、フキ、セリ、大根、ウリ、タケノコ、ヒシの実、アザミ、ワカメ、オゴノリ、クルミ、栗、柿、カツオ、フナ、アユ、ボラ、アワビ、ツブ貝、干し肉、粕漬けや醤油漬けのトウガン・ナス・ミョウガ、牛乳、蘇、酒、エゴマ、ウニ、タイ、梨、桃。
はじめに、『源氏物語』中の食べ物を含む文例を挙げてみよう。
- 御湯漬、御粥、強飯、水飯、屯食:
屯食:強飯を握り固めたもの
- その日の御前の折櫃物、籠物など、右大弁なむ承りて仕うまつらせける。屯食、禄の唐櫃どもなど、ところせきまで、春宮の御元服のをりにも数まされり。:桐壷
- 御土器参りたまふに、暗うなれば、御殿油参り、御湯漬、くだものなど、誰も誰もきこしめす。:少女
- 暮れぬれば、「例の、あなたに」と聞こえて、御湯漬けなど参らむとすれど、「近くてだに見たてまつらむ」とて、南の廂は僧の座なれば、東面の今すこし気近き方に、屏風など立てさせて入りゐたまふ。:総角
- 「物聞こし召さぬ、いとあやし。御湯漬け」などよろづに言ふを、:浮舟
- 御物語など、こまやかにしておはすれば、御湯漬など参りたまふ。:夢浮橋
- いそがしげなれば、
「さらば、もろともに」とて、御粥、強飯召して、客人にも参りたまひて、:末摘花
- ここは、かかる所なれど、かやうに立ち泊りたまふ折々あれば、はかなき果物、強飯ばかりはきこしめす時もあり。:薄雲
- 御粥、強飯など参りたまふ。:橋姫
- 五日の夜、大将殿より屯食五十具、碁手の銭、椀飯などは、世の常のやうにて、:宿木
- 御粥など急ぎ参らせたれど、取り次ぐ御まかなひうち合はず。:夕顔
- 日高くなれど、起き上がりたまはねば、人々あやしがりて、御粥などそそのかしきこゆれど、苦しくて、いと心細く思さるるに:夕顔
- 御手水、御粥など、こなたに参る。:若紫
- 御粥、強飯など参りてぞ、こなたより出でたまふ。:東屋
- 舞台の左右に、楽人の平張打ちて、西東に屯食八十具、禄の唐櫃四十づつ続けて立てたり。:若菜上
- 今日は、なほかたことに儀式まさりて、所々の饗なども、内蔵寮、穀倉院より、仕うまつらせたまへり。
屯食など、公けざまにて、頭中将宣旨うけたまはりて、親王たち五人、左右の大臣、大納言二人、中納言三人、宰相五人、殿上人は、例の、内裏、春宮、院、残る少なし。:若菜上
- 御粥などこなたに参らせたれど、御覧じも入れず、日一日添ひおはして、よろづに見たてまつり嘆きたまふ。:若菜下
- 御粥など参る方に目も見やらず、
「いで、さりとも、それにはあらじ。いといみじく、さることはありなむや。隠いたまひてけむ」
と思ひなす。:若菜下
- 御粥、屯食五十具、所々の饗、院の下部、庁の召次所、何かの隈まで、いかめしくせさせたまへり。:柏木
- 御粥など参りて、御前に参りたまふ。:夕霧
- 御手水、御粥など、例の御座の方に参れり。:夕霧
- 御粥、強飯など参りたまふ。:橋姫
- またの日も、心のどかに大殿籠もり起きて、御手水、御粥などもこなたに参らす。:宿木
- 供にて渡るべき人もとみに来ねば、なほ臥したまへるに、いびきの人は、いと疾く起きて、粥などむつかしきことどもをもてはやして:手習
- 大御酒参り、氷水召して、水飯など、とりどりにさうどきつつ食ふ。:常夏
夏に、氷水が食べられるという事実は、相当の事を知らしめる。
- 人びとに水飯などやうの物食はせ、君にも蓮の実などやうのもの出だしたれば:手習
- 次々の殿上人は、簀子に円座召して、わざとなく、椿餅、梨、柑子やうのものども、さまざまに箱の蓋どもにとり混ぜつつあるを、若き人びとそぼれ取り食ふ。さるべき乾物ばかりして、御土器参る。:若菜上
椿餅(つばいもちひ):日本最古の餅菓子で、「河海抄」によれば、餅の粉を甘葛(あまずら)でこねてツバキの葉で包んだもの
乾物:鳥肉(特にキジ)を干した干鳥(ほしどり)や、魚肉(とくにサケ)を細く切って干した楚割(すわやり),アワビを蒸して干した蒸蚫(むしあわび),タコを石焼きにして干した焼蛸(やきだこ)、そして干鯛(ほしだい)など、干物(からもの)というのは、宮廷の宴会に欠くことのできないものだった
- いと暑き日、東の釣殿に出でたまひて涼みたまふ。中将の君もさぶらひたまふ。親しき殿上人あまたさぶらひて、西川よりたてまつれる鮎、近き川のいしぶしやうのもの、御前にて調じて参らす。:常夏
西川は桂川の別称。いしぶしは、今のカジカ。石の間に伏して沈んでいるのでこの名がある。
- くだもの:「く」は「木」の転。「だ」は「の」と同義。1.果実。2.「からくだもの」の略。菓子。3.酒に添えるさかなの総称。果実も菓子も含む。
- 守出で来て、灯籠掛け添へ、灯明くかかげなどして、御くだものばかり参れり。:帚木
- 惟光、尋ねきこえて、御くだものなど参らす。右近が言はむこと、さすがにいとほしければ、近くもえさぶらひ寄らず。:夕顔
- 僧都、世に見えぬさまの御くだもの、何くれと、谷の底まで堀り出で、いとなみきこえたまふ。:若紫
- 「なほ、いと苦しうこそあれ。世や尽きぬらむ」
とて、外の方を見出だしたまへるかたはら目、言ひ知らずなまめかしう見ゆ。御くだものをだに、とて参り据ゑたり。箱の蓋などにも、なつかしきさまにてあれど、見入れたまはず。:賢木
- 「伊勢の海」ならねど、「清き渚に貝や拾はむ」など、声よき人に歌はせて、我も時々拍子とりて、声うち添へたまふを、琴弾きさしつつ、めできこゆ。御くだものなど、めづらしきさまにて参らせ、人びとに酒強ひそしなどして、おのづからもの忘れしぬべき夜のさまなり。:明石
- 若君は、道にて寝たまひにけり。抱き下ろされて、泣きなどはしたまはず。こなたにて御くだもの参りなどしたまへど、やうやう見めぐらして、母君の見えぬをもとめて、らうたげにうちひそみたまへば、乳母召し出でて、慰め紛らはしきこえたまふ。:薄雲
- 「大殿も、かやうの御遊びに心止めたまひて、いそがしき御政事どもをば逃れたまふなりけり。げに、あぢきなき世に、心のゆくわざをしてこそ、過ぐしはべりなまほしけれ」
などのたまひて、御土器参りたまふに、暗うなれば、御殿油参り、御湯漬、くだものなど、誰も誰もきこしめす。:少女
- かうて、野におはしまし着きて、御輿とどめ、上達部の平張にもの参り、御装束ども、直衣、狩のよそひなどに改めたまふほどに、六条院より、御酒、御くだものなどたてまつらせたまへり。:行幸
- 「御くだもの、御酒など、さりぬべく参らせよ。みづからも参るべきを、かへりてもの騒がしきやうならむ」などのたまふほどに、大宮の御文あり。:行幸
- 御加持果ててまかでぬるに、御くだものなど近くまかなひなし、「こればかりをだに」と、いと心苦しげに思ひて聞こえたまふ。:若菜上
- 御粥などこなたに参らせたれど、御覧じも入れず、日一日添ひおはして、よろづに見たてまつり嘆きたまふ。はかなき御くだものをだに、いともの憂くしたまひて、起き上がりたまふこと絶えて、日ごろ経ぬ。:若菜下
- 静心なく、さすがに眺められたまひて、御くだものばかり参りなどして、大殿籠もりぬ。:若菜下
- 深き山住みせむにも、かくて身を馴らはしたらむは、こよなう心澄みぬべきわざなりけり」などのたまひて、「女房、ここに、くだものなど参らせよ。男ども召さむもことことしきほどなり」などのたまふ。:幻
- 主人の侍従、殿上などもまだせねば、所々もありかで、おはしあひたり。浅香の折敷、二つばかりして、くだもの、盃ばかりさし出でたまへり。:竹河
- 御くだものよしあるさまにて参り、御供の人びとにも、肴などめやすきほどにて、土器さし出でさせたまひけり。:椎本
- 仏のおはする中の戸を開けて、御燈明の火けざやかにかかげさせて、簾に屏風を添へてぞおはする。外にも大殿油参らすれど、「悩ましうて無礼なるを。あらはに」など諌めて、かたはら臥したまへり。御くだものなど、わざとはなくしなして参らせたまへり。:総角
- 御簾掛け替へ、ここかしこかき払ひ、岩隠れに積もれる紅葉の朽葉すこしはるけ、遣水の水草払はせなどぞしたまふ。よしあるくだもの、肴など、さるべき人などもたてまつれたまへり。:総角
- もとより、人に似たまはず、あえかにおはしますうちに、この宮の御こと出で来にしのち、いとどもの思したるさまにて、はかなき御くだものをだに御覧じ入れざりし積もりにや、あさましく弱くなりたまひて、さらに頼むべくも見えたまはず。:総角
- さすがにかの御方には、かく思ふと知られたてまつらじと、ただ御心一つに世を恨みたまふめりしほどに、はかなき御くだものをも聞こしめし触れず、ただ弱りになむ弱らせたまふめりし。:総角
- 月見るは忌みはべるものを。あさましく、はかなき御くだものをだに御覧じ入れねば、いかにならせたまはむ」と。:宿木
- 宮は、常よりもあはれに、うちとけたるさまにもてなしたまひて、
「むげにもの参らざなるこそ、いと悪しけれ」
とて、よしある御くだもの召し寄せ、また、さるべき人召して、ことさらに調ぜさせなどしつつ、そそのかしきこえたまへど:宿木
- 尼君の方より、くだもの参れり。箱の蓋に、紅葉、蔦など折り敷きて、ゆゑゆゑなからず取りまぜて、敷きたる紙に、ふつつかに書きたるもの、隈なき月にふと見ゆれば、目とどめたまふほどに、くだもの急ぎにぞ見えける。:東屋
- 時方、御手水、御くだものなど、取り次ぎて参るを御覧じて、「いみじくかしづかるめる客人の主、さてな見えそや」と戒めたまふ。:浮舟
- 二人して、栗やなどやうのものにや、ほろほろと食ふ:宿木 22447
- 御供の人びとにも、ゆゑゆゑしき肴などして出ださせたまへり。:総角
- 粉熟(ふずく):南北朝までに成立したといわれる「原中最秘抄」によれば、粉熟は、稲,麦,大豆,アズキ,胡麻の5種を粉にしてこね合わせ、ゆでて甘葛をかけて練り、竹筒に詰めて押し固めたものを突き出し、それを切って食べる というものだった。
- 宮の御前にも浅香の折敷、高坏どもにて、粉熟参らせたまへり。:宿木
- 宮の御方より、粉熟参らせたまへり。沈の折敷四つ、紫檀の高坏、藤の村濃の打敷に、折枝縫ひたり。銀の様器、瑠璃の御盃、瓶子は紺瑠璃なり。兵衛督、御まかなひ仕うまつりたまふ。:宿木
- 延喜式には、数多くの漬物の記録が載っているので、相当数の漬物が食卓に並んだ事は間違いないと思われる。
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Kozan
平成28年2月8日